マイ健康レコードシステム 利用者の声

■ 当事者を「世の光」にする    マイ健友の会理事 志村直毅(笛吹市在住)

 県立盲学校では、戦後わが国における盲ろう教育の先駆として、昭和20年代から約20年にわたり教育研究に取り組んできました。当時の教材や資料が、今年も7月27日〜8月3日まで県立図書館で展示されました。

 「盲ろう児者」は、盲+ろう、弱視+ろう、盲+難聴、弱視+難聴の4タイプを含めて総称されており、視覚あるいは聴覚、もしくはその双方が残っている場合の方が多く、日本には「盲ろう児者」が約2万人前後いると推定されています。
 また、「盲ろう児者」の中には重複障害(知的障害など)を持っている方もいて、こうした方々の日常や社会生活に想いを巡らせようと思っても、その気持ちや感情、思考を推し量ることは容易ではないと感じています。

 現在、県議会の有志で組織している議員連盟では、手話言語の推進のため条例制定を目指しています。ろう者にとって音声言語と同様に手話言語は生きていくために必要なものであり、それを用いて教育や仕事や生活ができるよう権利保障の観点からも施策や事業を検討しなければなりません。
 私たちが受け取るさまざまな情報は、その8割が視覚情報によって認識されると言われています。では、盲者や盲ろう者にとって情報を認識するにはどのようにしたら良いのでしょうか。
 展示を観て想像を絶する思いを痛感し、何よりもまずは当事者や支援者の声をしっかりと聴くことが不可欠であるという思いを強くしました。

 政治や行政の場面では、「誰一人取り残さない」といったフレーズが登場しますが、為政者にそうした人々のことを思う気持ちや、課題を解決しようという情熱が今こそ必要なのではないかと感じます。
 人口減少へと向かうこれからの時代に、あらためて糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」という言葉の意味を問い直す日々です。

[2022年8月投稿]


■ ハザードマップ    ペンネーム「めがね」さん

 大雨の季節を迎えるのでハザードマップを見ています。
釜無川の信玄橋あたりが溢水すると、水は昔の流れの記憶を取り戻すかのように、竜王、昭和、甲府南部・東部、石和あたりまで被害が出そうです。

 甲府盆地では古くから信玄堤や万力林など、自然の地形や要害を利用して、水の流れを変える工事など、治水工事が脈々と受け継がれ、甲府盆地一帯の発展の礎になっています。
 信玄堤を特徴づける工法に、溢れた水を一時的に溜め込む霞堤や雁行堤が挙げられます。今、釜無川は一本の長い土手になっていますが、半世紀くらい前までは釜無左岸堤防にこれが残っていました。

 開国橋から浅原橋に向かって左岸を南下すると、浅原橋近くで堤防が途切れ、その外側に次の堤防が出てくるという具合で、泣く泣く今来た堤防を後戻りという次第です。
 今は立派な堤防道路が作られ、渡り鳥で賑わった臼井沼一帯も、宅地や商業施設に様変わりです。
 また、昭和町飯喰交差点南側あたりから田富の山の神方面に南下する霞堤が結構な長さで、しっかりと残されています。
 昭和町が釜無の治水を語るうえで欠くことができない遺構として残し、遊歩道や一部は生活道路に使われています。一見の価値ありです。

 荒川関連では、甲府西中あたりに本来の堤防に寄り添うように遊水用の堤防が、また新平和通りの相生幼稚園と旧相生小学校の間に、小規模な霞堤があり、子供の頃は金魚釣りに行くときの近道でした。今は狭い変哲もない道で、昔を偲ぶものはありません。

 「国を治める者はまず水を治める」の諺のように、先人たちのおかげで令和の今日まで、水による大きな損害もなく、平穏な日々を送ることができています。
 これは、私たちが抱えている慢性疾患や緑内障なども、まずは担当の先生の管理の下、病気や症状と、正しく、根気よく付き合うことを日々忘れないことが、大事に至らない第一歩と教えているように思いました。

[2021年8月投稿]


■ 診療現場に突入取材    ペンネーム「南ア侍 75歳」さん

医科大の名で山梨県民に信頼されて50年。毎日1000名以上の外来患者が訪れ、内科や眼科など29の診療科がありました。10年来の担当医のMI先生に患者目線で質問をさせていただきました。快くネット投稿にもOKいただきました。

Q1 大学病院の先生方の日課は?
一週間の内、外来診療、入院患者の対応、地域診療所の応援と時折休日の講演会などです。 家庭サービスはなかなかできませんネ。

Q2 安心できる大病院で診てもらい、待ち時間はどうにかなりませんか。
外来診療では大変お待たせして申し訳ありません。現在の大学病院への通院中の患者さんの数は、年々増えてきております。半面、医師の数はなかなか増えてこない状況です。今後もしばらくはご迷惑をおかけすることになるかと思います。

Q3 長期治療と向き合う私たちの「かかりつけ医」の制度は大学病院にもありますか。
「かかりつけ医」は、大学病院などの大病院ではなく、地域の医療機関を指します。山梨大学医学部附属病院は、特定機能病院であり、高度な医療サービスを地域に対して効率よく提供することを目的としています。そのため、病状が落ち着いた方は、地域の「かかりつけ医」に逆紹介させていただき、病院診療所の機能分担を図り、効率的かつ適切な医療が提供を目指しております。

Q4 最近は、病名を冠した○○クリニックが多くなりました。患者が勝手に先生を変更することは可能なのでしょうか。
病院を変更することは可能ですが、勝手に変更することはお勧めしません。それまでの診察・検査結果、治療経過が、その後の治療方針に大きい影響を与えます。
どうしても医療機関を変更したい場合は、なかなか頼みにくいかもしれませんが、紹介状(診療情報提供書)の作成を依頼してください。

Q5 患者仲間から、○○診療所の先生がいいらしい。と言われましたが
最近では、「臨床的イナーシャ(惰性)」という言葉がいろいろな診療ガイドラインにでてきています。 とくに高血圧や糖尿病などの慢性疾患において、目標が十分に達していないにもかかわらず、医師側が「今回も同じ治療で行きましょう。」というような惰性的な治療のことを指します。
医療機関を変更すること自体は、その惰性から抜け出せるきっかけにもなりますので、思うように治療がいかない場合は思い切って担当医に相談してみて良いと思います。 大病院ではできない診療が、むしろ専門医院の方ができるということもよくあります。

Q6 医大病院では、新薬の処方箋が多いと聞きますがジェネリック薬との違いは?
ジェネリック医薬品とは、新薬(先発医薬品)と同じ有効成分であり、効果や安全性が同等な薬品ですが、添加物などは異なるため全く同じものというわけではありません。
一般的には新薬発売から10年後から、ジェネリック薬が販売されます。大学病院も院内採用の薬剤は、ジェネリック医薬品がほとんどで、ジェネリック医薬品が販売されていないものは先発医薬品を採用しています。

Q7 糖尿病患者にこれだけは実践してほしいことがらは。
糖尿病は患者さん自身が主治医です。特に2型糖尿病では、自らの生活習慣をかえることが、根本的な治療になります。理想的な生活を目指すより、現時点での実現可能かつ具体的な目標(外食では3割残す。ジュースをやめる。毎日体重を測定する。など)を1つでも良いので決めることを実践していただきたいです。
少しずつでも生活習慣を変えられれば、よい結果につながると思います。

[2019年7月投稿]


■人口知能(AI)と医療    ペンネーム「特別会員(ST)」さん

最近、碁に凝っています。月に1回、碁会に顔を出しています。齢のせいか、最後の詰めが甘く、苦杯を喫するケースが多く、悔しい思いをしています。80歳を超えて思考力が続かず限界なのか。

勝負の世界で、若い小学生、中学生の活躍ぶりには驚嘆しますし、頼もしい限りです。将棋では、最年少14歳でプロ入りしたばかりの藤井壮太4段が29連勝しています。 また卓球世界選手権での平野美宇選手をはじめ中学生選手の活躍は素晴らしいものでした。

囲碁の世界では、グーグルの人口知能(AI)開発囲碁ソフト「アルファ碁」が世界最強の中国棋士柯潔九段に勝ち、日本の囲碁七冠を制した井山裕太名人を負かしたのも驚きでした。すでに人口知能(AI)がチェス、将棋では実力が人間を上向っていることが証明されていましたが、最も指し手が複雑な囲碁でも囲碁ソフトが勝利を収め、人口知能の能力の高さに世界中の人々が驚かされました。

囲碁は展開パターンが10の360乗とチェスや将棋より桁違いに多く、人間を破ることはできないだろうと言われていました。「アルファ碁」が強くなったのは教えなくても自ら学習し、最適な手を見つけ出す「デイープラーニング」(深層学習)という技術を駆使して、過去に棋士が打った3000万種類の局面を記憶し学習しその対局面で最善の指し手を探しだす能力を得たことで、人間の能力を超えるレベルまでになったからです。

誰もが此の素晴らしいAI技術を医療の面で利用しない手はないと考えるでしょう。県内医療界でも2005年に始めたマイ健康レコードは、一人一人の誕生から亡くなるまでの健康情報、医療情報をWeb上にそれぞれが電子媒体で記録して、クラウドを使って外部保存し、現在の医療の中で、医療者同士、患者さん、行政が情報を共有し、連携しあって、効率よい、質の高い治療に役立てようという意図があります。

疾病分布、医療者分布、医療機関分布は地域でまちまちで、地域の医療事情は地域ごとに大きく異なっています。また、人々の願いに生まれた土地で生涯を終えたいという希望もあります。

山梨県民90万人の健康歴、病歴、処方歴が電子媒体で保存され、いつでも、どこでもその人にとって最も適切な、健康、医療、介護サービスが受けられるようにデイープラーニングで判断されるシステムを山梨に構築したいものです。近い将来病気の診断に、あるいは治療方法の適応判断に人口知能AIが使われるようになるでしょう。それによって山梨県民の健康寿命は更に延長し、生産性は上昇し、医療費は削減され、ますます多くの人々から山梨県は住みたい県として選択され、人口は増えることになるでしょう。このような医療面でのICT環境が、マイ健康レコードを中心にして山梨で整うことを切に願っています。

[2017年7月投稿]


■交通事故    ペンネーム「荻窪らあめん」さん

少し旧聞になりますが、1月10日の朝早々、交通事故に遭いました。

職場から三人で社有車に乗りこみ走り出した途端の出来事でした。
見通しの良い交差点(信号機無し)、優先道路を走る我々のクルマの前に、前方右側から走って来たクルマが交差点で一時停止をせずに横切ろうとしたのです。

こちらのクルマ(トヨタの小型車)は前部が大破して走行不能に、相手のクルマ(某社のオフロード風の車)はボディ横にぶつけられた反動で道路から雪の積もった田んぼに転落、テレビでよく見るドライブレコーダーの再生シーンそのものでした。

前々日の1月8日に雪が降りました。
当日も路面が凍っている場所が多かったのですが、この事故はそれとは全く関係なく、相手の運転手の明らかなミス。
とはいえ、こうした場所での事故は相互の安全確認が原則なので、100%相手が悪いとも言えないみたい。

運転席と助手席の二人と相手の運転手はエアーバッグのおかげで無事でした。
後席にいた私だけが衝突で投げだされ、運転席のシート後部にぶつかり、額に大きなこぶができました。

駆け付けた警察の事情聴取を受けた後、職場(距離にして300メートルくらい)に引き返し、自分のクルマに乗って市内の脳神経外科に行きました。

連休明けで病院はすごい患者の数。
辛抱強く待つこと三時間。
予約患者の間をぬって頭部のCT撮影を行いましたが、幸い異常は無いとの診断でホッとしました。

ただし、二日間は安静にしていなさいとの医師の指示なので、しばらくの間はお酒を控えておとなしくしていることにしました。

頭のこぶは?
病院で診察を待っている間に腫れはだいぶ引きました。
職場に戻った時には「どこをぶつけたの?」と聞かれる程度に。

その後、変わったことは?

幸い後遺症のようなものはありませんでした。
一つあるとすれば、それは信号機のない交差点を通るときに、気を付けるようになったことでしょうか。

[2017年5月投稿]


■ 「緑内障は、治る病気ではなく付き合う病気です」  ペンネーム「プチマフィン」さん

主治医の先生がいつだったか講演会で話してくださった。

町の健診で要検査と言われ、眼科病院に通院、この病気とも かれこれ12年の付き合いになった。
病状はというと、大きな変化はなく眼圧も点眼薬や薬の服用により安定している。

毎年 眼科相談会に参加し、私より病気歴が長い先輩方の話を聞ける事はとても安心と共感でき対策を考えられる。
中には、通院が面倒くさくなってやめてしまい、しばらくして見づらくなって再通院しだしたという方がいた。 その時は、以前より悪くなっていて後悔したそうだ。

最近思うことは、その日1日無事に生活が送れた事に感謝している。家族で体調を崩したり、気にかかる者がいるからだ。
少しでも長く自分自身のことが出来るように、家族に迷惑かけないように今出来ることを心がけている。

それでも、たまに中途失明になったら...と心配することがある。
定期検査も大事だが見えなくて寝たきりになりたくないので点字を覚えて少しでも社会と関わりを持っていたいとも思っている。
年々物覚えが悪くなってきているので、早めの方が良いかと思案中である。

さて、2020年は、東京オリンピック開催予定だ。
ある方が、4年後のオリンピックに向けて目標を掲げていた。
私の4年後は、やはり人の役にたてる サポート出来る仕事をしている事だ。
雇って頂けるなら古巣もいいだろう。それには、目も身体も大事だ。

これからも互いに上手く付き合って行こうと思う。

[2016年10月投稿]


■ 記録式健康管理法のすすめ    ペンネーム「マイ健 太郎」さん

どちらかと言えば適当な性格で、糖尿病が発覚したのを承知しながら、一向にお構いなしの生活を継続した結果、最終的には糖尿病腎症となりました。 急遽、検査入院が必要となり、検査と併せて糖尿病についての基本的な教育訓練を受講し、病気に対する考え方を一新することが出来ました。

担当医のお勧めもあり、マイ健友の会に加入し、関係情報の入手や、公開講座など積極的に参加するようになりました。 顧問の先生から、病気の治療は、二十四時間、三百六十五日、患者自身が行うもので、医師の対応出来る時間は、短時間のため治療に対するサポートしか出来ないというお話を伺い、目から鱗が落ちました。(病気になったら、病院に行って治療して戴き、完治するものだと考えていました。)

私の場合は、生活習慣を改善できない限り、病気の治療は出来ないことを自覚し、まずは、 担当医の先生の指示をしっかりと遵守すると同時に、自身の病状を正確に把握することから始めました。病状の把握には、具体的な数値が必要で、記録が前提となることが解りました。
そこで、最初は自己流の健康管理表を作ることにしました。記録内容は、食事内訳、血圧測定結果、体重、歩行量、服薬状況、一日の行動内容メモ等で構成しました。併せて数値目標を設定し、達成を目指しました。
指示された食事制限は厳しく、日々ストレスの連続でしたが、数値管理している中で体重が目標値に近くなっていく状況を確認しながら、段々とストレスが無くなっていく自分を感じるようになりました。
また、歩行量も、当初は、一日、三千歩の目標から五千歩の目標に変更し、当初の疲労感から、いつの間にか達成感に変わるようになりました。現在では八千歩をクリアしている状況です。
病院での検査結果が、健常値に近い数値になっていく状況を確認出来ると、ますます張り合いなり、一層頑張る気持ちになりました。
現在ではマイ健友の会の母体であるシステム研究会(NPO法人・慢性疾患診療支援システム)から、無料提供されている電子健康手帳を利用させて戴いております。

自分の病状把握(病院での診断内容が、パソコンに自動的に記録されている)と、併せて健康管理項目をパソコンに記入し、数値の変化を確認しながら、二十四時間、三百六十五日の治療に励んでおります。既に発病以来、十年を経過していますが、数値は安定しております。
私の場合は、この健康管理法ですっかり生活習慣を変えることが出来ました。

生活習慣を改善するためには、何か行動を起こさない限り、変えることは出来ません。 この電子健康手帳を利用することによって、割合、簡単に楽しみながら健康管理が出来て、生活改善の第一歩になると確信し、皆様のご利用をお勧め致します。

[2016年7月投稿]


■ ラジオとともに    ペンネーム「Green Stream」さん

10年位前から老化と病気(緑内障)のためか、テレビや新聞やパソコンを見ると、目が非常に疲れるようになってしまいました。

昔、学生の頃は、ラジオの深夜放送をよく聞いていましたが、最近はめっきり利用していませんでした。 ところが、この頃、早起きになり、小さいラジオを枕元に置き、朝早く目が覚めた時にはラジオ深夜便を聞くようになってきました。
最近ではスマホ等でラジオ放送を録音出来るようになり、聞くことの出来ない時間帯にも録音して聞けるのも便利です。

ラジオは目が疲れないので非常に快適に一日が過ごせるし、自分自身に話しかけてくるように感じ、とても親しみを感じます。

また、近くの山をウォーキングする時もラジオを持って行きます。 (今迄は熊よけになるかと思っていましたが、最近の熊はダメのようですね。)
毎日、体全体を動かすということもないので、朝はラジオ体操も始めました。ラジオ体操 は午前中3回位放送しており、自分の生活サイクルに応じて、その時間を選んで行っています。

毎朝5時半からの「生島ヒロシのおはよう一直線」は健康情報が多く面白いので良く聞いています。 健康に興味のある方は朝早いですが聞いてみるのも良いのではないでしょうか。 情報過多な現代では不確かな情報もありますが、自分なりに良いと思った知識などを日々 の生活に取り入れていきたいと思います。

[2016年6月投稿]


■ 病院生活。胆のう摘出・笑顔に救われた5日間  ペンネーム「ミレーK」さん

毎年の健康診断のたびに「経過観察」といわれてきた胆石。
もう20年以上になる。
昨年暮れに胆のう摘出を決意して、2月下旬に手術を受けた。
事前の説明、胆のうの役割、健康な時に治療をしたほうがいいだろうという判断だが、最後の決断は本人ですと医者は言う。
入院5日間、摘出手術時間は1時間30分、献身的なスタッフには感謝である。

入院生活で同室の患者さんたちの見舞客や家族の対応に「その人の人生」が見えてくる。
家族に支えられてきたお父さん、奥さんと初めてゆっくりした時間を持ったというご夫婦、子供のことを心配している祖父など様々な人間模様が素直に出てくるのが病室だ。
病院生活は、自分の人生を振り返り、素直になれる場所のようだ。
再び「生きる」ことの意味を考えさせられる。
健康であることは、日々感謝であるが、入院して改めて強く思う。

交わす言葉も大事だが、医療の現場では、非言語、言葉以外のコミュニケーションも大事である。身振り手振りや握手や笑顔、心のキャッチボールの手段は様々だ。私は介護コミュニケーションの講義をしているが、看護師さんや病院スタッフのみなさんの対応に、多くの事を教えられた。
機会あるごとに、健康相談など心と体のチェックは必要だと思う。
同室の皆さんが共に励まし合い、優しさと思いやりを持ちながら過ごしている姿に、一日も早い回復をと願わずには居られない。
退院するとき、笑顔で「頑張って、良かったねと」背中に声をかけてくれた年配の方は、入退院の繰り返しの人であった。
今回の胆のう手術は、周囲から再び元気をもらった「青春」のスタートだった。

[2016年5月投稿]


かかりつけの先生はいずこに?  ペンネーム「南ア侍 72歳」さん

長寿社会世界一の日本は、工業国化を推進した国策でサラリーマン世帯が多くなったことが原因の一つと言われます。
サラリーマンがどうして健康で長生きできるのかについて、自己の体験を紹介したいと思います。

今年2月に行った企業OB会に集まった仲間は、89歳の大先輩から70歳代の元気な同僚が沢山おりました。
社会人となって、定年までのおよそ40年間サラリーマン時代の健康管理については、無意識で加盟した組合保険(なぜか社会保険という)に加入したおかげで恩恵に授かっていたことを国保に替わって改めて感じました。
お世話になった企業は、低水準の賃金ながら福利厚生面が充実していたため、入院費等の医療費の大幅支援、社員食堂、系列病院、職場内には医務室があり、医師、保健師、管理栄養士が常駐し、人間ドック制度と公言しては申し訳ないほどの環境下にあったため、仲間を含め深刻な病気になった人の記憶がありませんでした。
また、よそ様の中規模事業所でも、勤務時間内に総合健診が受けられていたようで高い受診率によって、いわゆる早期発見、早期治療につながり、組織化された「かかりつけ医療制度」がサラリーマンの長寿に貢献していたと思われます。

私の幼少時代は、84歳で臨終した祖母には「かかりつけの先生」がいたようです。時々、家には白衣を着た「お医者さん」が往診に来ていました。診察後は、家から自転車で一時間以上のとこにあった○○醫院までお薬をもらいに行くのが私の役目でした。
そして、21世紀となった現代の医療の現場は、高度成長時代の影ともいわれる、癌や原因不明の難病、アレルギー性疾患が親戚、兄弟や子供家族にも迫ってきました。そんな時の家族の会話は、どこの病院、先生の評判はどうか。ネット検索など病気に関する家族による情報交流が活発な時代になってきました。

最近の新聞報道によると、地域にある診療所や薬局が「かかりつけ」の認定機関の看板を掲げる制度が4月からスタートするとありました。
私の認識では、「かかりつけの先生」とは、いつも同じ笑顔で健康相談や悩み事に応えてくれる親切なお医者さんのイメージでしたが、政府の進める「かかりつけ」制度とは、近くにある医院や薬局で診てもらうことを推奨する制度のようです。安心できる先生のいる診療所かどうか一寸不安になりました。また、県内唯一の中核病院として君臨する山梨大学病院は、新しい「かかりつけ」の制度から外れ、費用負担が増える大病院になってしまうのでしょうか、不安は増すばかりです。

[2016年4月投稿]


■ 先生・看護師さんに感謝    ペンネーム「影法師」さん

世の中に数えきれない程の職業がある。夫々の人が自分の技術を生かし、こわれた所をジット見つめて修理にかかる。必要ならば部品を交換し再起を期待する。とまぁこれがごく普通一般のことであるがお医者様はそうはいかない。 聴診器をあてたり、光で変化する眼球を追い患者の進言を信じ適切な診断を下している。
これは、まさに神技である。体の中は他の機械器具のように中を見るわけにはいかない。患者と医師の信頼関係のもとに診断結果を聞きこれを真摯に受け止め体調快復に努力しなければならない。 快復の基本の一つに看護師さんが居る。
医院の門に入って先ず第一声を発するのは、患者と看護師さんとの会話である。優しい目で にこやかに応対してくれる。諸手続きも迅速である。この姿、動きは娘・孫にも伝えたい。この応待一つで三分の一の病気は快復してしまう。年齢の多少は問題ではない。この道に入るまでには長い間勉学され技術を磨き、医師に配置されて医師の個別指導を受けながら実践的研究を行っている。有難いことである。 私共患者は、わがままを言ってはならない。自分で一日でも早く快復するよう努力すべきである。
いざという時の為にもかかりつけ医院(師を作っておくことは大変重要なことである。医師との信頼関係を深め、快復のための情報の提供を受け身内以上の相談相手として頼みの綱以上に極めて重要なことである。 先生、看護師の皆様 感謝しています。

[2015年3月投稿]


■ 透析治療    ペンネーム「40−0」さん

20代より硬式テニスの国体強化選手として、時間があればテニスに明け暮れる毎日であった私が透析を導入したのは、4年前の心筋梗塞を発症した時からです。
透析を始めると時間の拘束や行動範囲の制限もあると聞かされ、「一体、これからどうすればいいんだ」と、失意の中で入院先のベッドに寝ている自分を情けなく思いました。
それでも、退院する頃には「この現実と上手く向き合っていこう、アレコレ考えてみても取り越し苦労でしかない、今まで以上に時間を大切にして、物事に信念を持って生きていこう」と覚悟しました。

退院後は、すぐに仕事先や友人に「透析患者」と告知する事から始めましたが、世間は現代の透析医療に関して「無知」ということに驚かされました。「透析する人は、現役で仕事は無理なのでは?」とか「残念ですね、人生の半ば終わり」と言われ、その都度、現代の透析医療の方法や仕事と透析の時間割など、今後の考え方を話しました。今では、仕事先や友人も透析していることに理解を示し、時間の調整など協力してくれています。そして、さらに私が透析を前向きに考えることを強くした出来事が三つあります。
 一つは、退院して初仕事の障害者支援センターの設計にありました。プレゼンの際などに多種多様の障害を抱えている方々と会いましたが、障害を苦にしている方は一人も居ず、皆が前向きだったことです。
 二つ目は、原口院長のもとで透析治療が受けられることです。仕事を持っている我々にとって、夜間透析をやってくれる医療スタッフがいてくれることは心強く、心から感謝しています。また、原口院長は「私が診ていくので大丈夫です。しっかり食べて、しっかりと透析していく事がこれからは肝要なんです」と温かい言葉をかけて下さいました。
 三つめは、当腎友会の若林会長に言われた一言です。「透析することに何も悲観することはない。忙しい中にあって週3回4時間の休み時間が取れると考え、ありがたいと思うことと、自身で工夫して無駄をなくす事です。寝ててもよし、本を読んで研鑽するもよしです」と教えられました。テニスは現役の選手をあきらめましたが、甲斐市在住の県でもトップクラスの仲間とテニス協会を設立し、教室や大会を通して硬式テニスの普及と愛好者を増やすことに関わっています。
最後に私の好きな言葉を紹介します。

「幸福は、与えられるものではない。自らの知恵で価値を創造しながら勝ち取るものだ。」

[2014年12月「わたしのはなし 第9号」より]


■ 継続は力なり    ペンネーム「Green Stream」さん

私は四十代の初めに右目中央上部に光るものが発生し、 東京の有名な眼科で診てもらいましたが、その時は検査だけで 特に治療はしませんでした。
その後、十年位たって目の見え具合が悪いと感じ、 地元の眼科を受診したところ正常眼圧緑内障という診断で、 眼圧を下げる目薬をもらって現在まで治療継続中です。

受診した緑内障患者の40%くらいの人しか、きちんと目薬を さしていないという話を聞きました。 今のところ、正常眼圧緑内障は目薬で眼圧を下げる治療しかない ということなので、これをこつこつと続けていくしかありません。
私も、お酒など飲んだ時は、つい点眼をうっかりしてしまうこと がありますが、毎日の「習慣」にしてしまえばよいのですね。

「習慣」といえば、私には、改めなければいけないことがあります。
それは『早食い』です。妻が食事の仕度を終え、食卓についた時には、 すでに半分以上食べ終わっており(笑)大ひんしゅく・・・
『早食い』は肥満の大敵で、チョイメタの私も最近は『早食い』を改め、 一口三十回を目標にもっか改善中です。 加えて、一日一万歩を目標にウォーキングも始めました。 その効果も体重の折れ線グラフに確実に表れてきており、 これも目薬同様 継続は力なり という言葉を念頭において、 自分の「習慣」として定着させていきたいと思っています。

[2014年7月「わたしのはなし 第8号」より]


■ 私の健康法    ペンネーム「影法師」さん

世渡りをする上で、新羅万象と仲良く付き合う事は大変大事なことですが、余り気を許して仲良く付き合いたくないのが病気ですね。
ひょっとした油断から病魔という恐ろしい相手に宣戦を布告され、お医者様という強い味方の力で勝利を得ます。お医者様は、目には見えない病魔を他人の体の中 から発見し治療してくださいます。まさに神仏的存在です。ありがたいことです。
でも、お医者様にばかり頼っていてはいられません。自分でも普段から病魔をよせつけず撃退する方便を養わなければなりません。
ならば、私達はどうしたらよいでしょうか。

それは、健康維持に対する「心の油断」をしないことです。官庁や会社等にお勤めの方が定年で退職された時の「心の油断」が最も危険です。長い勤務から解放され ホッとする時です。
私は現役の頃、必ず話をするのが「十年間、緊張感を今までの三分の一程、続けてください。早寝早起き、宵っ張りの朝寝坊も結構、三度の食事を欠かさない。 よく噛み、時間をかけて食べる。量は腹八分目、水分補給は忘れずに、家の中に引きこもらず人と良く話をする。酒は少量に、たばこは止めた方が良い。地域・地区の仕事も縁があったら進んで協力しましょう」 等々です。

私達は医学には無知です。病気に対する素人判断や他人に知ったかぶりの医療知識の披瀝は人助けのつもりでも危険が伴います。自分だけの知識に止めるのも健康法に入ります。
お医者様の話をよく聞き、看護師さん、薬剤師さん等医療に携わる多くの方々の指導をしっかり守りましょう。
健康維持の大きな秘訣であり、高齢まで現役で働けるコツです。

自分の健康は、自分で考えましょう。私は元学校職員、現在は茶道の指導をしています。
今年で54年目です。元気で頑張ります。

[2013年12月「わたしのはなし 第7号」より]


■ 「90%がんです」    ペンネーム「荻窪らあめん」さん

東京にいたころの話です。
会社の定期健康診断で「肝臓に何か影がある」といわれました。
腹部エコー検査で直径2センチくらいの腫瘤のようなものがあることがわかったのです。それも二つも。
要精密検査となって、糖尿病治療で通っていた総合病院に行き、そこで再度エコー検査とCT検査を行いましたが、「肝臓がんの可能性がある」という以上のことはわかりませんでした。

「一度検査入院して徹底的に調べましょう!」ということになり、二週間ほどその病院に検査入院してMRIとCTの検査を行ってみましたが、それでもがんと特定することはできませんでした。
内科の担当医は「切りましょう!」という意見、しかし外科の先生方たちは案に相違して「もう少し様子を見ましょう」という考えでした。
腫瘍マーカーの結果でもシロ、それでも「90%がんだと思いますからこの機会に切除した方が良い」という主治医の意見で手術の方向に傾きかけていた気持ちを変えたのはセカンドオピニオンの先生の意見でした。「手術するのは最後の手段だよ。」

結局その総合病院と地域連携している大学病院の高名な先生の診断を仰ぐということになって、正月明け、コピーしてもらったフィルムを数十枚持って大学病院に出かけました。

診断は血腫とFNH(限局性結節性過形成)。
「心配していたガン細胞ではないから手術の必要は無し」との最終診断でした。

その瞬間、自分の周りの世界がぱあっと明るくなった気がしました。同時に自分がいかに暗い気持ちで正月を過ごしていたかがわかったような気もしました。前年の五月以来八ヶ月間、モヤモヤしていたものが消え去った瞬間でした。
会計の前で支払いの順番を待ちながら「今ここにいる人たちの中で自分が一番幸せかもしれない」と思いました。
あれ以来、毎年定期的にエコー検査を行っています。大きさの変わらない腫瘤を体内に抱えたまま、すでに七年が経ちました。

[2013年7月「わたしのはなし 第6号」より]


■ 正常眼圧緑内障の診断を受けて    ペンネーム「ブルーベリー」さん

私、アラフォーの主婦です。毎年夏の暑い盛りに町の健康診断を受けていました。
子供が増える度に腰回りが少し気になりだしていますが、今までは、特に体のどこにも異常を指摘されたことなく安心していました。

2003年8月、町から「緑内障の疑いあり眼科精密検査を」という紹介状がきて、びっくりしました。えっ、なんで、どうして。
近視が強く、眼鏡とコンタクトの厄介を受けていますが、目に不自由を感じていないし、特に何も自覚症状はないし。 なのになぜ?どうしてかしら?重い病気かしら、白内障とどう違うの?。まだ子供は成人していないし。

いろいろ不安を抱えながら、自宅から近い医大眼科を早朝に受診しました。
眼科待合室は大勢の人でいっぱいで、その日は緑内障の特別外来日でした。こんなに緑内障の人が大勢いるのか?
何人かの先生によるいくつかの検査の後、「あなたの目は正常眼圧緑内障です。でもきわめて初期の段階で見つかってよかったですね、点眼で様子を診ましょう。 定期的に受診してください」と言われました。
でも、私の中では正常眼圧?緑内障?失明は?といったことが頭をよぎりました。

自宅に帰り早速、ちょっと古い家庭医学書、日ごろやっているインターネットに当たってみた。
それで、分った事は、

白内障は水晶体が濁ってくる病気で、一方緑内障は40歳以上の5人に一人に発症し、神経が侵される病気で、放置すると失明することもあるが、治療していれば生涯見えなくなるようなことはない。
目が丸い球状を保っているのは、目の内部に圧があって[正常者の平均眼圧は14−15mmHg、この眼圧が正常なのに、緑内障と全く同じような、視神経の変化、視野の変化を生じる者を正常眼圧緑内障というらしい。
もともと、緑内障は目の圧が正常値より高いとなる病気だが、正常眼圧緑内障は日本人に多く、強度近視、偏頭痛、循環障害、遺伝が関係し、原因はいまだにはっきりしない

と書かれていました。緑内障の診断を受けて大変ショックでした。
両親は「おまえは子供の頃から近視が強かったけど、家系に緑内障の人はいないのにねー」と嘆いていました。

あれから8年、定期的に診察を受けています。検査を受けると見えない部分があるようですが、自覚的には何をするにも不便は感じないし、診断前と変らないようです。
子供が成人に達するまであと6年、親の介護もしなくてはならないし、なんとかこのままの状態であってほしいものです。まだまだ頑張らねば。

今考えると、あの時健診を受けていて初期の段階で発見されて本当に良かった。
最近、マイ健康レコードに加入すると自分の病気の状態を知ることができるし、自分の健康状態を日記風に記録することができるらしい。
早速入会して使ってみようと思っています。

[2012年7月「わたしのはなし 第4号」より]


■ 『大丈夫ですか?』『大丈夫ですよ!』    ペンネーム「みどり芽」さん

私は、生まれ昭和十九年、性別は男子。抱える慢性疾患は緑内障。
何らかの原因で眼圧が高まり視神経が破壊される。現在の医療のもとでは症状の進行を遅らせるのが精一杯。最悪の場合失明にもなる大変恐ろしい病気といえます。
起こる症状は視野狭窄といって私の場合物の見え得る範囲が狭まるため、正面方向以外が見えにくくなってくる。下手の横好きのゴルフのプレイにも段々に支障が出始めています。この病気に対する嫌悪感は少なくありません。
しかし、物は考えよう。『人間は人並みでない部分をもつ、ということは素晴らしいことである。そのことがものを考えるバネになる。』…とは司馬遼太郎のことばです。半歩退いて事にあたり考えてみる。 なかなか実行は難しいのですが、常に心している言葉であります。
与えられる条件が狭く厳しくなればなるほど、その事柄を深堀するように自然となってゆく。『こんまいことでクヨクヨしとったらいかんぜよ』 これは坂本竜馬の言です。

今の私は視野がある程度確保できている間にいろいろやってみたいと、趣味、行動の範囲を拡げています。
ゴルフに筋トレ、野菜づくりによる土いじり、それから乗馬をちょっとかじり、冬はスキー、夏はスイミングを少しやり、ハーモニカの練習と、つい先頃からルーツ検索の家系譜づくりに凝りはじめ、その為の戸籍謄本集めと寺まわり、古文書解読講座の受講と、坐禅を楽しむ会、ともうひとつ生活の源たるアルバイト稼ぎ…等々毎日が スケジュール一杯。
病気のことを振返るのは二ヵ月ごとの診察日、それに毎日の点眼の最中のみという忙しさです。

ところで私は三十七歳で大腸がんの手術をしました。
当時のオペは開腹が当然。二ヵ月ほど入院、術後経過思わしくなく腸閉塞を度々起こし、季節の変わり目には必ずといってよいほど短期入院治療をしなければならない有様で、最終的には腸捻転。命に係るということで緊急手術を受ける始末。
その経験を積みながらもなお、窮地に立つほどに自分自身がいとおしくなる。己の人生を愛する気丈さのようなものをもちたい、と考えるようになってきました。

自然体でいって自然体にて去る“行雲流水”が如き生き方が理想です。

お奨めしたいことがあります。
坐禅です。調身、調息、調心、の三即一。気力を尽くして気迫凛々とした充実した態度で『無念無想』坐する。言葉に決してとらわれず、妄想妄念起こらば起これ、唯ひたすらにヒトーツ、フターツと数え、 数息感に打ちまかせていく。線香一本がとぼれ尽きる約三十分間、私にとっては至福のひとときであります。
こうして毎日の生活をエンジョイ出来るのもマイ健康レコードシステムで治療の方は安心、お任せ、と関係者の皆様に感謝、感謝です。

[2011年12月「わたしのはなし 第3号」より]


■ 「言近旨遠(イェンジンジーユェン)」:言葉は易しいが意味が深いということ ペンネーム「合憲限定解釈」さん

私は二十代の半ばで緑内障を宣告された患者です。以来、早5年程経ちました。まるで宣告が先刻なされたようで月日の経過とは早いものです。

正直、宣告されるまで、緑内障は緑一色と何となく似てるなという失礼な感想しかもっていませんでした。医者から失明の危険がある病気と聞いた時は医者の失言の危険を疑った程でした。恐らく、失明よりも失恋が気になる年頃の感想は乾燥した内容しかもちえないものでしょう。
以来、毎日点眼をしつつ、回復を天願している日々です。否、緑内障は回復しない病気です。その進行を遅らせることしか出来ません。欠けた視野は戻りません。覆水盆に返らずです(はい、意味が違いますね)。
ここでドラマや小説なら「希望を持って」「必ず大丈夫」というポジティブメッセージが繰り広げられるのでしょう。或いは偉人ならこの失明の危険のコンプレックスで異人的業績を納めるのでしょう。
ただ、閃学不才の平閉凡凡人たる私にとっては、このハンディキャップを単に食(は)んでいくしかないのかなと思っています。なるようになる、というか、なるようにしかならないというところでしょうか。回復しない病である以上、「大丈夫」と思うのは正直気休めにしかすぎませんし、失明に絶望して「死に至る病(byキルケゴール)」にかかる程でもありません。禍福はあざなえる縄のごとし、人生万事塞翁が馬、というところでしょうか。
(これまた微妙に意味が違いますが・・・) つまり、幸福は感じていませんが、それほど劇的な不幸も感じていません。特に意識していない、というものでしょうか。恐らく、「幸福」「不幸」という言葉が他者との比較でしか成り立ちえない以上、緑内障によってどう感じるかはその人次第などと若輩者が妄想したりしてます。妄想もう(よ)そう。

ところで、中国語でメガネを「眼鏡」、視力や目のことを「目晴」と書き、両方とも「イェンジン(Yanjing)」と発音します。両者とも発音・四声が全く同一なので「目を開ける(開眼晴)」を「眼鏡を開く??」なんて意味不明な聞き間違えをすることもしょっちゅうある言葉です。というのは嘘で、文脈でわかるので間違えることは基本ありません。ただ、眼がその代用物たるメガネと発音が同じというのは面白いなと思ったりしてます。
現在、視覚再建の技術が進んでいるそうです。人工眼というのでしょうか。緑内障で失明した眼の代わりにそういう機械を眼鏡に仕込むことで眼が見えるようになるのであれば、眼鏡が眼になり、眼晴と眼鏡が発音だけでなく、意味も同一になる日が来るのではないかと考えています。まぁ、戯言ですが。
眼の鏡よりも眼(圧)の鎮を気にし、目が晴れるよりも眼が腫れて眼科に通う日々ですが、(イ)エンジン全開で日々頑張っていきたいと思います。そして、現在の視野開発技術が「演進(中国語。イェンジン。進歩の意味)」して人類が緑内障を克服できる未来が来ることを切に願っています。

[2011年7月「わたしのはなし 第2号」より]

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